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プロフィール

登録日: 2022年12月1日

記事 (25)

2026年9月28日 ∙ 7 分
丸家に残る江戸時代からの風景に想うこと
前回のブログでは、丸家の屋敷神として、築山の頂上に祀られている金毘羅宮について書きました。今回は、その金毘羅宮が祀られている「築山」そのものについて、細かく述べていきたいと思います。 丸家の築山は、口伝では江戸時代の終わりにはできていたとされています。私が子供の頃には遊び場でもあったこの築山ですが、あらためてその姿を一つひとつ見ていくと、先祖がどのような想いでつくり、そして代々どのように向き合ってきたのか、想いを馳せることも多くあります。 屋根の高さほどある築山を、なぜつくったのか 築山の南側には、現在の丸園体験施設があります。ここは昭和40年に建築した住宅で、私が2歳の頃から住んだ2階建ての建物です。現在は内装をリフォームし、丸園の体験施設として活用しています。 その建物の2階の窓と、築山頂上に祀られている金毘羅宮がほぼ同じ高さにあります。したがって築山は、建物の1階屋根の最頂部と同じ程度と言えるでしょう。 地域の神社には、富士山信仰に基づく富士塚があります。しかし、屋根の高さに至る築山を持つ個人宅は、少なくとも私は他に見たことがありません。...

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2026年5月19日 ∙ 5 分
日光御成道とは?徳川250年の平和を支えたシステムを読み解く
PJ-Onari(日光御成道プロジェクト) 丸園  丸 志伸 2026/6/3 日光御成道をどう捉えるか 川口~美園~岩槻を結ぶ日光御成道を、地域づくりに活かそうとする動きが始まっています。御成道は戦国や幕末のような動乱の歴史ではありません。それは、平和な時代の歴史です。 際立った事件があったわけではないことから、その意味が表面的には見えにくいとも言えます。 御成道を語ろうとするときに、街道の変遷、宿場の構成、伊奈氏の活動、住民の協力、岩槻城を将軍の宿所とする社参ルートの設計経緯など、多くの要素が複雑に絡みます。語り手・語り方によって焦点が変わり、人によって理解の温度差が生まれやすいという実態もあります。 そこでPJ-Onari並びに私は、御成道を、どのように俯瞰的に捉えて、未来に繋げて行けばよいのかを整理しました。 江戸時代の平和って?戦争がなかっただけ? 歴史の授業では「250年の平和」と習います。しかし、実際には「戦争がなかった」というだけでなく、秩序と合意が繰り返し確認される仕組みがあったからこそ、平和が持続したと言えるでしょう。...

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2026年5月14日 ∙ 3 分
100年の茶の木から見える、さいたま市の農村文化
埼玉県さいたま市。 現在では住宅地のイメージが強い地域ですが、かつてこの地には、お茶を育てる農村文化がありました。 丸園には、100年以上前から残る「日本在来種」の茶の木があります。 農薬不使用・無肥料で管理され、祖母が丸家へ嫁いだ大正時代には、すでに現在とほぼ同じ姿だったと伝えられています。 現在、日本で流通する多くのお茶は、戦後以降、味の均一化や生産効率向上を目的として品種改良されたものです。 一方、丸園の茶の木は、昔ながらの在来種として受け継がれてきました。 在来種は、株ごとに葉の形や香り、味わいが異なります。 均一ではないからこそ、多様な香味が重なり合い、奥行きのある味わいが生まれます。 また、百年以上生き続けてきた茶の木は、この土地の水や土の環境に適応しながら、深く根を張ってきました。 私は、「100年の根は、土地の時間を吸い上げている」と感じています。 さいたま市にも存在した「畦畔茶(けいはんちゃ)」 明治以降、日本がお茶を海外輸出するようになると、埼玉県南部でもお茶づくりが広がりました。 特に現在のさいたま市周辺では、農地の畦や屋敷周辺に茶の木を植える「畦畔茶(けい...

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